「孤独のすすめ」
夫の通院のために駅への送迎をしてますが、駅近くに図書館があります。
先日はちょっと早く着いたので図書館へ。「日経WOMAN」をパラパラとめくるとある本が紹介されてました。
ちょうど図書館にあり、そのまま借りました。読みたいときが読みどき。間隔開くと読みたい気持ちが薄れます。
「孤独のすすめ」五木寛之
この本のなかでとても共感したことが2つありました。
「かつて日常的に仏壇に手を合わせ、『自分もいつかご先祖さまと同じ世界へ旅立つのだ』と念じたひと昔前の老人たちは、現代の私たちよりも死の恐怖からずっと自由だったと説く人もいます。」
私が前から感じていたこと、神仏に手を合わせると、不安が和らげ気持ちが落ち付くのとつながります。
老後の不安、病気、死への恐怖。それは今も昔も変わらない。
昔から祈ることで、その気持ちから少しでも解放されたいと願うのがわかります。
著書でも「ここでは特定の宗教グループのことではありません」とあるように、
私も一般に崇拝されてる神様や子どもの頃から耳に残ってる「南無阿弥陀仏」や「南無大師遍照金剛」を
唱えるような気持ちです。
もうひとつは、
「回想が人間不信と自己嫌悪を癒してくれる。気分が滅入ったときはたくさんある記憶の抽斗(ひきだし)を開けて
思い出を引っ張り出すようにしています。そうやって回想して咀嚼してるうちに、立ち直る自分がいる。
最終的には、人間とは愛すべきものだというあたたかい気持ちが戻ってきます。」
今,断捨離の一環としてアルバムの整理をしています。
自分が産まれてから順を追って写真を貼りなおす作業なのですが、精神的にも負担がかかり、
毎日少しずつしか進みませんでした。
母親の写真を見ると、亡くなる数年前のことが思い出されるからでした。
しかしそれを乗り越えてくると、楽しかったことが思い出され、そして自分という人間に焦点があたるように
なりました。
自分のことですから、自我が目覚めてから「この時はこういう気持ちだった」というのがわかり、
楽しかった頃は自然と満面の笑みをカメラに向けています。
人の気持ちは顔に出ます。つらいときは笑っててもなんとなく静かな笑いです。
アルバムに収められた自分を産まれてから追って見ていくと、一人の人間として捉えることができます。
どういう人生をたどってきたのか、自分が一番の理解者であり、あの時は大変だったねと労い、
そしてやはり少し愛おしい感情が産まれてきました。
今現在59歳で、来年60歳は還暦。仕事も辞め、なんだか区切りを感じます。
一旦アルバムを閉じて、60歳からはまた新しい人生が始まる気がします。
人生の後半は孤独を感じることが多くなるようですが、本を読み静かに考える時間も無限にありそうだわ。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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